明治、大正、昭和、平成を走り抜けた古豪 [中小私鉄]
七夕の今日、現在こちらは雨です。
昨日、琴電の写真を探していたら、他にも興味深い写真がありました。
今日はそちらを紹介したいと思います。
平成2(1990)年夏の野上電気鉄道です。
まだこの時は廃止が決まる前で、末期の殺伐とした雰囲気もなく
のんびりとした風景が広がっていました。
始発駅の日方(ひかた)駅です。
停車しているのはデ10形です。
この頃はまだホームでも撮影できました。
デ10形の12ではないかと思います。
元富山地方電鉄笹津線のデ5010形になります。
ホームから側線に停車中の車両もよく見えます。
モハ30形32+31です。元阪神の1101系です。
側面の明かり窓が何とも言えないいい雰囲気です。
右に見える信号機は紀勢本線のものです。
奥にJRとの連絡用ホームも見えます。
連絡口という駅名ですが、日方駅の別ホーム扱いのようです。
デ10形に乗って向かった先は確か紀伊野上駅だったと思います。
貴志川の流れを入れて撮影。
写っているのはデ10形11だったかな?
歩いてここまで来たのか、列車に乗ったか?
隣の動木(とどろき)駅近くでの撮影です。
架線柱が傾いて見えるのはレンズのせいだけではなく、実際傾いてます(苦笑)
デ10形12がお客さんをたくさん乗せて通り過ぎていきます。
さらにカメラを横にふって動木駅停車中を撮影。
画面奥に見える家の壁面には右から料理と書かれています。
古くからのお店のようですね。
上の写真に見える鉄橋を横から撮影しています。
先ほどのデ10形12が折り返してきたようです。
バックが透けて見えるスポーク車輪ですね。
こちらも貴志川でしょう。
デ10形13だと思います。この日、野上電鉄のデ10形はこれで全部撮れたようです。
動木駅に戻って帰路につきます。
竜光寺前駅からデ10形がやってきます。
最後は日方駅の手前、連絡口で下車して、野上電鉄の車両たちをねらいます。
当鉄道一番の人気車両、モハ20形24です。
元阪神601形604で、大正13年製です。
この時、まだまだばりばりの現役でした。
でもこの塗装で撮れたのは際どいところでした。
翌月には、明治製菓のチョコレートCM塗装になってしまい、
廃止の時までこの色に戻ることはありませんでした。
後ろに連結されているのは、モハ20形27だと思います。
続いて、ちょっと周囲を入れて広く撮影した写真です。
一番右に写っている車両は、モハ20形23で元阪急1形26です。
書類上は大正3年製となっているが実際は明治43年製だそうです。
この写真ではちょっとわかりにくいですが、
テールライト上の三角帽子がなんともいえない可愛らしさ。
今度はモハ20形24の左側を広く入れて撮影。
奥に写っているのが日方駅ホームです。
手前にちょこっと写っているにが連絡口ホームです。
日方駅は模型にしたら面白そうですね。
野上電鉄には、廃止前年にもう一回撮影に行ってます。
その時は、異様な雰囲気につつまれていました。
野上電鉄で検索すると、末期に撮影に行かれた方はだいたい
その点に触れています。
異様な写真は撮っていませんが、再訪した時の写真も
近々紹介したいと思います。
昨日、琴電の写真を探していたら、他にも興味深い写真がありました。
今日はそちらを紹介したいと思います。
平成2(1990)年夏の野上電気鉄道です。
まだこの時は廃止が決まる前で、末期の殺伐とした雰囲気もなく
のんびりとした風景が広がっていました。
始発駅の日方(ひかた)駅です。
停車しているのはデ10形です。
この頃はまだホームでも撮影できました。
デ10形の12ではないかと思います。
元富山地方電鉄笹津線のデ5010形になります。
ホームから側線に停車中の車両もよく見えます。
モハ30形32+31です。元阪神の1101系です。
側面の明かり窓が何とも言えないいい雰囲気です。
右に見える信号機は紀勢本線のものです。
奥にJRとの連絡用ホームも見えます。
連絡口という駅名ですが、日方駅の別ホーム扱いのようです。
デ10形に乗って向かった先は確か紀伊野上駅だったと思います。
貴志川の流れを入れて撮影。
写っているのはデ10形11だったかな?
歩いてここまで来たのか、列車に乗ったか?
隣の動木(とどろき)駅近くでの撮影です。
架線柱が傾いて見えるのはレンズのせいだけではなく、実際傾いてます(苦笑)
デ10形12がお客さんをたくさん乗せて通り過ぎていきます。
さらにカメラを横にふって動木駅停車中を撮影。
画面奥に見える家の壁面には右から料理と書かれています。
古くからのお店のようですね。
上の写真に見える鉄橋を横から撮影しています。
先ほどのデ10形12が折り返してきたようです。
バックが透けて見えるスポーク車輪ですね。
こちらも貴志川でしょう。
デ10形13だと思います。この日、野上電鉄のデ10形はこれで全部撮れたようです。
動木駅に戻って帰路につきます。
竜光寺前駅からデ10形がやってきます。
最後は日方駅の手前、連絡口で下車して、野上電鉄の車両たちをねらいます。
当鉄道一番の人気車両、モハ20形24です。
元阪神601形604で、大正13年製です。
この時、まだまだばりばりの現役でした。
でもこの塗装で撮れたのは際どいところでした。
翌月には、明治製菓のチョコレートCM塗装になってしまい、
廃止の時までこの色に戻ることはありませんでした。
後ろに連結されているのは、モハ20形27だと思います。
続いて、ちょっと周囲を入れて広く撮影した写真です。
一番右に写っている車両は、モハ20形23で元阪急1形26です。
書類上は大正3年製となっているが実際は明治43年製だそうです。
この写真ではちょっとわかりにくいですが、
テールライト上の三角帽子がなんともいえない可愛らしさ。
今度はモハ20形24の左側を広く入れて撮影。
奥に写っているのが日方駅ホームです。
手前にちょこっと写っているにが連絡口ホームです。
日方駅は模型にしたら面白そうですね。
野上電鉄には、廃止前年にもう一回撮影に行ってます。
その時は、異様な雰囲気につつまれていました。
野上電鉄で検索すると、末期に撮影に行かれた方はだいたい
その点に触れています。
異様な写真は撮っていませんが、再訪した時の写真も
近々紹介したいと思います。
大正時代とはすごいですね。
わずか(?)20年前の風景とは…。
by Lionbass (2010-07-07 23:08)
野上電鉄、少し調べてみましたが、最後は悲しい状況だったのですね。
雰囲気の素敵な路線だったのですね。残ってほしかった鉄道です。
by schnitzer (2010-07-07 23:56)
1990年代にこの風景が残っていたのだから奇跡ですね。
明治生まれが大正と偽る、
ここで歳のさばを読んでも、仕方ないのに。
by manamana (2010-07-08 06:08)
まるでタイムマシンに乗って、過去に旅した感覚にとらわれました
そして今でもこの風景が見られるような気がしてなりません
by 駅員3 (2010-07-08 07:02)
各写真が "nice" です! いつか撮りにいこう と思いつつ漫然と過ごしていた間に、こういった私鉄の多くが消滅してしまいました。 生き残った地方の中小私鉄は今やステンレス車ばかり ...
でも、こういった写真をこうやって見せて頂ける今は、イイ時代なのかしら
by nexus6 (2010-07-08 08:00)
この頃は、月に二度は和歌山への出張をしていたのですが‥
野上電鉄の存在も知ってはいたのですが、非鉄(休鉄)時代でした。
出張先でのお休みを取ったりもしていました、
もったいない事をしてしまったと後悔しております。
by suzuran6 (2010-07-08 11:59)
同じ頃。同じような場所で撮影した写真があります。やはりいい雰囲気でしたね。行っておいてよかったです・・・いつかは拙ブログでも発表しようと思っておりました。最後の異様な状態は話しには聞いていますが、あまりにも悲しい末路でしたね。
by Cedar (2010-07-08 14:01)
古豪達の活躍、たくましい時代の記録ですね。ローカル線の灯が残るように上高地線も頑張らなければ。
by ドラもん (2010-07-08 19:55)
おお,これは和歌山県の.
確かに,最後はおかしくなってしまいました.
201系はそうなりませんように.
by EF65-1111 (2010-07-08 21:53)
Lionbassさん
大赤字だったおかげで残ったというのが正解のようですね。
古い車両を持つローカル私鉄でも窓枠はサッシ化されていたり
するものですが、ここは木枠のままでした。
schnitzerさん
この頃はまでいい雰囲気でした。
次に行った時はもう二度と来ないと自分も思いました。
manamanaさん
深い事情はわかりませんが、明治時代の車両が残っていたのは奇跡ですね。
それも現役ですから。
ブログ記事作成にあたっては、JTBキャンブックスの
「ローカル私鉄車輌20年西日本編」寺田裕一著を参考にしました。
駅員3さん
いまでも古い車両を残すところもだいたいは動態保存といったところ。
ここは現役だったのがすごいです。
nexus6さん
この頃はどこのローカル私鉄に行っても古い車両が現役で
走っていましたね。
いまはリバイバルカラーとか、保存の意味合いが強いですね。
ステンレス車には萌えません(笑)
suzuran6さん
和歌山の私鉄も魅力的な時代でした。
紀州鉄道、有田鉄道も古い車両が残っていました。
あの時もっと撮っておけばと後悔もします。
Cedarさん
Cedarさんの写真は筋金入りの貴重な資料ばかりですね。
最後の異様な雰囲気を体感した自分としては、
廃止を残念と思う気持ちと、当然の末路と思う気持ちの半々です。
ドラもんさん
上高地線に行ってるのに旧型車を撮影していなかったのが悔やまれます。
車庫の見学もさせてもらってるんですよね。
まだ地方私鉄に萌える前の自分でした。
EF65-1111さん
和歌山県の歴史遺産としてもよさそうな鉄道でした。
でも、最後は残念な状況でした。
撮影者にも多少原因はあったと思います。
201系も最後はどうなるのかなあ。
by しおつ (2010-07-08 22:07)
今造ROWINGTEAMさん、燕っ子さん、はいてんしょんさん
りかの配偶者さん、tokumichiさん、ほりけんさん
あおたけさん、Top-Numberさん、hajimeさん
masakingさん、フジトモさん、ゆるキャラさん
k-hideさん、booさん
niceありがとうございます。
by しおつ (2010-07-08 22:14)
いい雰囲気ですねー。
茶色い線路とオレンジ×クリームの車体の取り合わせにぐっときます。
by sonic (2010-07-09 00:29)
わぁ~!かなりノスタルジックな気分になれる
写真と車両ですね。
もう一度こんな風景を見たいです。
by 響 (2010-07-09 21:13)
sonicさん
これよりさらに古い時代は、濃いめのいまひとつの塗装だったようです。
この塗装がローカル線にはしっくりきます。
響さん
地方路線もさすがにこういった風景はなくなってきましたね。
古い車両が残るのは非電化路線くらいでしょうか。
yogawa55はやぶささん、新快特さん、ぼんぼちぼちぼちさん
niceありがとうございます。
by しおつ (2010-07-09 21:22)
正面3枚窓や、スポーク車輪など懐かしい風景です。
交通が、鉄道主導の社会はもう来ないのでしょうか。
by HUDSON (2010-07-10 07:28)
これはまた素晴らしい雰囲気!!
末期は酷い状況だったんですね、残念ですね。
しかしこういう雰囲気のローカル私鉄の動態保存も
あってもいいですよね!
by FTドルフィン (2010-07-10 08:58)
HUDSONさん
よくこの時代まで残っていたものですね。
路面電車は最近見直されているので、ちょっと期待したいところです。
FTドルフィンさん
ほんと写真の撮り甲斐のある路線でした。
末期は鉄道雑誌でも取り上げられるほど、
会社や社員の対応はひどいものでした。
ここは有田鉄道のように日方駅だけでも保存すると良かったですね。
by しおつ (2010-07-10 23:17)
kanさん
niceありがとうございます。
by しおつ (2010-07-11 20:21)